ピアノに関する思い出

私がピアノを習い始めたのは6歳なってまだ間もない6月でした。当時通っていた幼稚園の隣にある離れのような場所に週一でピアノの先生が教えに来てくれていて、私はそこで11年にも渡って同じ先生に教えてもらうことになります。

厳しい先生

歳を追うごとに練習内容は変わっていきました。もちろん、弾く曲のレベルがどんどん上がっていくので私はそれに追いつけなくて何度も何度も辞めたいと思うようになりました。でも、レッスン以外でするピアノとは全く関係のないお喋りを先生とするのが何よりも楽しくて、結局は辞めることはありませんでした。そして、先生はいつもレッスンの合間におせんべいやポテトチップス、ジュースなどをおやつとして私にくれました。おせんべいとジュースは他の生徒さんにも出されていたみたいだけれど、ポテトチップスを出していたのは私だけらしいです。先生にとって私は少し特別な生徒みたいでした。それもあってか、レッスンは他の生徒さんよりもだいぶ厳しい感じがしました。褒めてもらったことはほとんどないかなと思います。あまりに厳しいので私は半泣きになりながら一生懸命ピアノを弾いていました。ちょっとした反抗精神から先生から出された宿題をサボるなんてこともしました。それでも、続けられたのはなんだかんだ言って先生のことが好きだったからなんだと思います。そして、先生が私の弾きたい曲を自由に弾かせてくれたからだと思います。私が弾きたい曲の楽譜を持っていけば先生は嫌がらずに教えてくれました。

ピアノ伴奏

私は小学5年と6年の合唱発表会、小学校の式典の校歌斉唱、卒業式、中学1年と2年と3年の合唱コンクール、中学校の式典の校歌斉唱、吹奏楽のソロコンテスト、高校1年の合唱コンクールなどでピアノ伴奏をつとめました。どれも自分でやりたいと立候補して、時にはオーディションを経て勝ち取りました。私はスポーツはからきしダメで運動会や球技大会ではクラスの足を引っ張ってばかりいたので、その分音楽系のイベントでは精一杯自分に出来ることをしようと奮闘していました。周りの友達が私の弾くピアノを好きだと言ってくれるのを励みに頑張れました。誰かが自分のピアノを好いてくれるのが嬉しくて、この頃の私はレッスンが厳しくても全然辛くなくてむしろ楽しくてしょうがなかったです。1曲ずつ弾ける曲が増える度に胸が弾んで早く次の曲が弾きたい、もっと難しい曲を弾きたいと常にポジティブ精神でした。高校に入ると部活などの忙しさもあってあまりレッスンが出来なくなりました。そうすると、先生は歌を教えてくれるようになりました。日本の歌謡曲だけでなくフランス歌曲とか外国の曲です。楽譜を渡される度戸惑いましたが、私は歌うことも大好きだったので苦ではありませんでした。それはそれで楽しかったのです。

まとめ

大好きだったはずのピアノでした。でも、精神的に落ち込んでしまった時に何もかも考えられなくなってピアノまでも投げ出してしまいました。もうかれこれ数年もピアノの鍵盤に触れていません。楽譜も開いていません。でも、私の胸にはいい思い出ばかりが今でも残っています。

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