幸せを運んでくれたピアノ

母に言われて嫌々始めたピアノ。今となってはとてもいい「人生の伴侶」です。でも、突然、「人生の伴侶」となってくれた訳ではありません。今思えば、そこには、様々な紆余曲折があったのです。このお話は、そんな、紆余曲折のお話です。

大嫌いだったピアノ

そう、私は、ピアノが大嫌いだったのです。母に言われて、むりやり弾いていたのですから。
戦前生まれの母、幼いころからピアノに憧れがあったものの、第二次世界大戦もあり、当時は、ただ生きていくだけで精一杯。ピアノなんて、夢のまた夢だったのです。戦後不況の中、憧れのピアノは、一部の大富豪のみ、という時代でした。

そこで、母は、幼い頃叶えられなかった自分の夢を、子供に託したのです。この子たちには、自分の夢を叶えてもらいたい、そんな母の思いから、私のピアノ人生がスタートしました。

自分が好きで始めたのではなく、母に言われて、なんとなく始めたピアノ。これがまあ、私にとっては、憂鬱で仕方ありません。どうして憂鬱なのかって?

まず、先生は今で言う「激こわ」なのです。もう、怒り散らすのなんのって。パワハラなんて日常茶飯事。機嫌がいいのは、お歳暮とお中元の時だけ。

さらに、弾く曲がつまらないのです。指の練習なる「ドレドレドレドレド」のひたすら繰り返しとか。この状態で、子供の私に、どうやってピアノを好きになれというのでしょう?

一緒に習い始めた兄は、早々につまらないピアノなるものをやめてしまいます。残るは私一人、仕方なく続けていました。そう、理由もなく・・・。

ピアノを好きに

その転機は、思いがけずやってきました。高校の音楽の先生が、突然、私に言ったのです。
「ねぇ、あなた、、声楽やってみない?声楽なら、音楽大学に行けるわよ」

えーっ!! て、驚いている暇もなく、あれよあれよという間に、当時の先生方が「音大への道」を築き上げてしまったのです。もちろん、音大に入るには、声楽だけでなく、ピアノの技術も必要、聴音も必要。気付いた頃には、1日8時間ピアノに向かう日々に突入していました。

あんなに退屈だった「ドレドレド」も、テレビを見ながら、メトロノームに合わせていました。いつの間にか、ハノン(指の練習ばかりを記載した楽譜)も楽しく、曲を弾けば、もっと楽しく。

そして、大学入学後、もっとピアノを好きになる出来事がやってきます。先生から差し出された、ショパンとの出会いです。モーツァルトやベートーヴェンとは全く違った美しい和音運びに、すっかり夢中になっていました。中でも、特に夢中になったのは、バラードの1番。そう、みなさんご存じ、あの羽生選手の曲です。

就職先では、なんと、「ママさんコーラスの伴奏」というお仕事が、私を待ち受けていました。これはこれで新しいお勉強がたくさん。

この頃、人前でよく弾いていたのは、ゲーム音楽の「ザナルカンドにて」。これがまあ、ショパンもびっくりのきれいな曲なのです。

こうして、私はいつの間にか、ピアノの虜になっていたのです。

まとめ

母に言われて、嫌々、ある日は泣きながら、通っていたピアノ。それが、高校の先生方に見守られ、ショパンと出会い、ママさんコーラスの皆さんから必要としていただき、そう、たくさんの出会いと幸せを私に運んでくれていました。
ピアノはきっと、あなたの人生にも、幸せを運んでくれますよ。

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